秩禄 処分。 秩禄処分の目的をわかりやすく。

『秩禄処分 明治維新と武家の解体』(落合 弘樹):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

政府は明治8年1875年9月7日の太政官布告138号において禄高の金禄化の全国的な切り替えを実施して公債切り替えの準備が整った。 政府の税収も、御用金と太政官札の借金で賄われました。 『と士族』(吉川弘文館 2005年)• 一刻も早く、近代国家としてのインフラを整えたい明治政府にとって、秩禄というものは大きな障害となった。 公債ってのは、借金。 江戸時代、武士は将軍や大名から俸禄をもらうことで生活を成り立たせていた。 秩禄奉還の法• 「秩禄処分」とは、明治9年、それまで華族・士族に世襲的に与えられていた家禄を廃止し、「武士」という特権的身分を最終的に解体した改革である。

>

明治維新による士族階級の大リストラ「秩禄処分」

『敗者の日本史18 西郷隆盛と』(吉川弘文館、2013年)• その代表例が、士族による 国立銀行の設立です。 また、旧幕臣は徳川家から、諸藩の藩士は藩主から米で受け取っていました。 実はこの秩禄ってのは、新政府の歳出の35%以上を占めていたから、とにかく早く削減したかったのね。 これは、家禄に対して課せられる税金で、家禄高に応じて累進性になっていたが、平均して11・8%の税率だった。 金碌公債の資金の裏付けとしては、外債が発行された。

>

【秩禄処分とは】簡単にわかりやすく解説!!目的(理由)や結果・影響など

当時政府は、国の財政の4割近くを占める秩禄制度を全廃止しよう、と考えていました。 5パーセントに軽減しています。 岩倉や伊藤は慎重論を唱え、木戸らは反対するが、方針として決定され、12月には再討議を行い、家禄税の創設と「」がされるとともに、家禄を整理するために 自主的な秩禄奉還者に対して6年分の俸禄の半分を現金、残りの半分に対して を付与する政策を採った。 しかし新政府は、「能力のあるものしか採用しない」という建前をとっていた。 狭い意味ではこのことを秩禄処分といいます。 これらの受給者の大半は官職についておらず、明治政府に何の貢献も行っていなかった。

>

秩禄処分の目的をわかりやすく。

〔1999年、中央公論新社刊の同名書籍の文庫化〕. 秩禄処分には3つの目的があった。 また「東京日日新聞」では、「士族に対する家禄は、給金でも褒美でもなく、御情の仕送り、貧院の寄付」とまで書かれている。 この金禄公債をもらった武士には、毎年、利子が入ってくる。 早く応じた人は良い条件にしてあげますよ」と考えるとよいでしょう。 明治維新でも、その形式は受け継がれていた。

>

【秩禄処分とは】簡単にわかりやすく解説!!目的(理由)や結果・影響など

しかし、幕府や大名が持っていた領地(藩)には武士が付随しており、この武士への俸禄はそのままになっていた。 新政府にとっては、かなり大きな負担だったが、秩禄を廃止するためには、仕方がなかった。 10月には幕末に諸外国と結ばれたの改正()などを目的としたが派遣され、において禄制改革は行われた。 どういうことかというと、額面 100円の金禄公債証書を 50円でいいからといって商人などに売ってしまい、現金を得たということです。 華族に対しては華族世襲財産法や第十五国立銀行の設立などの手厚い保護策がとられたが、秩禄対象の大部分を占める士族に対しては効果的な救済政策はとられなかった。

>

秩禄処分とは何か?【簡単にわかりやすく解説】

そこで、明治政府は初めのうちだけ、江戸幕府から家禄の支給を引き継ぐことにしました。 廃藩置県までに全体としては4割近く俸禄は削減されたが、封建体制の下では限界があり、江戸時代からの負債に加えて戦費による負債が藩財政を圧迫していた。 しかし新政府は財政が苦しく、現金では支給できずに、公債という形で支給した。 国民の大多数は、近代国家をつくるためには莫大な費用がかかることを知っており、何もしていないのに禄をもらえる華士族たちというのは、批判の対象でしかなかったのだ。 この時の金利は4パーセントですから、ようやく国際社会の信用を得たのでしょう。

>

【秩禄処分とは】簡単にわかりやすく解説!!目的(理由)や結果・影響など

維新後は、により農民の土地所有権が国家によって承認される一方で、士族の土地所有権は否定された。 翌年には、百石以上のものにも、同様の制度が設けられた。 農業や商工業に転職した士族たちの中にはなれない商売で失敗するものが少なくありませんでした。 これらが、秩禄処分が極めて小さい抵抗の下で実行された理由である。 臨時秩禄処分調査会 [ ] 、が発行されて、家禄制度は全廃、整理されたが、これらの処分に関して異議を唱える者もあり、明治30年10月、家禄賞典禄処分法(明治30法50号)が、32年3月、家禄賞典禄処分法施行法(明治32法84号)が、公布され、請願が許された。

>

秩禄処分

この二つは制度的に別物です。 ちなみに、下級士族の金禄公債証書の利子だけだと、 1年の生活費の 3分の 1弱しか賄えませんでした。 ついに武士の給料を全廃する そして明治9(1876)年、明治新政府はついに秩禄を廃止し、金禄公債を武士に配布することにした。 その点で、これまでの秩禄の代わりになるものではありませんでした。 禄を期限付き公債に替えることで、無期限の政府支出を回避した• しかし、一気に秩禄を無くすると士族たちが反発する可能性が高く、政府は慎重にことを進めていきました。 もう別に武士にお給料払って戦の時に出てってもらわなくても平民を戦争に参加させられるわけだしさ。

>